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阿弥陀如来坐像の伝来についてご紹介致します。

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浄照寺のブログ
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こちらのページでは『阿弥陀如来坐像』の伝来についてご紹介しています。
いかなる仏像であっても何かしらの「願い」をもって制作されています。
道具も材料も現代に比べると乏しかった時代もあったと思われますが、その作風を見れば見るほど作り手や願主(神仏に願を立てた当人。ねがいぬし )の重いや願いが込められています。

 阿弥陀如来坐像の伝来

 

本像はもと当地片貝の豪商、大塚伝三郎氏の所有であり、浄照寺には同氏による献上文が残されている。これによれば、大塚家の仏間を改築するにあたって安置場所の都合が付かない為、本像および蓮華座を献上するとあり、献上の日付は昭和18年(1943年)2月となっている。文面から本像は大塚家の仏間に安置されていたものと推察されるが、それ以前の伝来についてはまったく不明である。
ただし、本像の不規則な木寄せを見るかぎり中央(京都など)の作とは考えがたい。胎内銘に記される半田三郎兵衛が「陸奥之佛師」を名乗るのもこれと符合する。即断はできないが、本像は越後国内で制作された像とみてもなんら違和感はない。

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 ※本像の胎内には墨書きでハッキリと製作者・制作年が記されている。

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※大塚伝三郎氏による献上文。文中に「旧佛間改築これ及ぶにあたり置所之都合に依り…(中略)…貴寺へ献上シ」とある。(浄照寺蔵)

像様

仏像全体の大きさなどについて解説しています

構造

仏像の作者や作風などをまとめています

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仏像がどこから来てどうしてここにおられるのか

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この仏像は新潟県では指折りの大きさです

                                 

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