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こちらのページではお寺の事や仏事に関する「よくある質問」をまとめています。

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浄照寺のブログ

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葬式やご法事のこと

こちらのページではお葬式やご法事のことについて頂いた質問をまとめてあります。
 
No.1 家族に不幸があった場合はどうすればいいでしょうか(60代・女性)
まずはお手次のお寺へご連絡下さい。
寺院の方から直ちに枕勤め(まくらづとめ)をさせて頂きにお伺いします。
これは亡くなった際に菩提寺となるお寺さんが故人の枕元でお経を一巻読経させて頂くものです。
読経後、葬儀の日程打ち合わせをさせて頂きます。

詳しくは「葬儀の流れ」のページをご覧ください。

 
 
No.2 身内に不幸が出ると家の中に色々としなければならないのですか?(50代・男性)

葬儀にあたり、お家の中はバタバタと物を動かしたり移動したり、と騒がしくなるかと思います。その際に

・神棚に白い紙を貼って神様に不幸を見せないようにする
・屏風をさかさまにする
・衣服の裾を頭のほうにして被らせる
・たくさん布団をかける

などの事をされる方がおられますが、少なくとも真宗大谷派ではそのような事はされる必要はありません。
枕元に一基の灯明(ロウソク)と線香を立てずに香炉に入れておきます。
また、真宗大谷派ではご飯にお箸を立てることもしません。

一番大切なことは故人を悼むお気持ちですので、あまり作法や決まりごとに縛られずに静かで安らかにいらしてください。
 
 
No.3.葬式は友引きの日には行わないものなのですか?(70代・女性)

葬儀にまつわって様々な迷信が行われています。
例えば「友引には葬式を出さない」とか、ところによっては「丑の日・寅の日・卯の日にはしない」などとも申します。これは「友を引く」とか「凶事が重なる」などといって嫌うのでしょうが、はたして「日」にそんな日があるのでしょうか。例えもしあるとすれば、その日にあたって死んだことのほうが問題になるはずでしょう。
まったく迷信です。
日本中の迷信を信じたら葬式を出すことができなくなります。
それぞれの地方によっていろいろ荒唐無稽なことを申します。一切の迷信に惑わされず、正しい法(みのり)にしたがって礼を尽くすことが良いのです。迷信とは何かを見きわめ、その根源を見定めましょう。

 
No.4.納骨は四十九日の時でないといけないのでしょうか?(40代・女性)

納骨は必ずしも四十九日の時に限る訳ではありません。
亡くなった日を一日として数え、七日目にあたる日を「初七日」といいます。
それから十四日目を「二七日」(になのか)(ふたなのか)といい、その後、四十九日にあたる「七七日」(しちなのか)までの期間の事を
『中陰』(ちゅういん)
といいます。
近しい人が亡くなってからこの四十九日にあたる日までは「故人を偲びながら喪に服す」機関であり、昔から祝いの席や華美なふるまいは避けるものとされてきました。
そして四十九日に当る日は

『満中陰』(まんちゅういん)または『忌明』(きめい)

とも言い、菩提寺のお寺さんを迎えて法要を営みます。これを俗に「四十九日」というのです。
喪に服す期間が終わり、「中陰」期間が終わるので、ここで一つの区切りとして納骨をされる方は多くいらっしゃいます。
しかし、だからといって必ずその時でないといけない訳ではありません。
百か日法要でされる方もいれば、お盆のころ、はたまた全く関係の無い日に納骨をされる方もいらっしゃいます。

おおよそ四十九日以降~一周忌法要までが目安でしょうか。

大切な方のお骨であればあるほど別れがたいこともあるでしょう。無理もありません。


 
No.5.檀家にならずに葬式だけお願いはできないのでしょうか?(70代・女性)

もともと、「檀家」という言葉が生まれたのは江戸時代の頃からです。
当時、江戸幕府は「宗旨人別帳」(しゅうしにんべっちょう)という台帳を作り、日本全国のお寺にそれを配りました。
この「宗旨人別帳」はいわゆる戸籍の証明のようなもので、寺は自分の寺に所属する家の名前を書いて村役人に提出しました。

その理由は二つあります。

一つは「隠れキリシタン」の摘発。
当時はあの有名な「島原の乱」(1637年)が起こり、3万人からなるキリスト教徒が蜂起して大暴動となりました。幕府はこの「隠れキリシタン」を取り締まる為に各寺院に指示して「○○家はキリシタンではなく△△寺の檀家です」と証明させたのです。

二つ目の理由としては「人口動態の把握」です。
住民は住まいから離れる時--例えば結婚や出稼ぎ、旅行など--には寺から「寺請証文」という住民票のようなものを発行してもらい、常にこれを携帯しなければなりませんでした。そしてこの証文の発行により、寺は住民の動きを村役人に提出し、江戸幕府は居ながらにして各地域の人口の動きを確認することができたのです。

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以上のような『檀家制度』の背景を見ますと、もともと菩提寺と檀家というのは江戸幕府の築き上げたシステムであってこの制度自体が仏教と関係ある訳ではありません。

それでは葬式や法事など必要な時だけお寺さんから来てもらえば良いのでしょうか。

まずそれでは寺は運営していけません。
確かに葬儀やご法事でお布施は頂きますが、寺はそれぞれどの宗派であっても本堂を構え、それなりの荘厳や儀式、行事を取り行っています。
そしてそれらの維持と運営には相当の費用もかかります。

「そんなに大げさな本堂や儀式はいらないのではないか」

ともお考えになるかもしれません。
しかし、それなりの本堂や儀式・行事を行っていないところを果たして信用
できるでしょうか?
確かに必要以上に立派な建物や儀式は不要かもしれません。しかし、あまりにも

「はい、本堂はこれですよ。行事はこんな程度ですよ」

と簡単すぎるのもいかがなものかと思います。
人によってどのくらいが「程良く立派」なのかは異なると思いますが、最低限の「構え」や「続いてきた伝統」の無いところに本当の意味での「救い」とか「安心」は無いと思います。

さらに、寺は檀家さんから訃報(ふほう)を受けると、相当の理由が無い限り全ての予定をキャンセルして枕経というお経を読みに伺い、通夜から葬儀まで執り行います。

どんなときであっても「お互い様」の精神で支えあっていくことこそ大切なのではないでしょうか。その意味では寺も檀家さんもどこまでいっても『五分と五分』。どちらが上でどちらかが下ということはありません。

 

 

                                 

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